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zoom RSS 大津波被災の気仙沼へ行く

<<   作成日時 : 2011/04/17 10:19   >>

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今日は平成23年(西暦2011)4月16日(土)。
先週訪ねるはずだった気仙沼を訪れた。
4月7日に大余震があり、被害状況などを見定めるため一週間ずらしたのだ。

そこでは、東日本大震災の大津波で家を流され、さらに筆舌に尽くしがたい経験をし九死に一生を得た妻の母、そして姉とその息子家族が避難生活をしている。

経路は、仙台泉IC→(高速)→若柳金成IC→栗原市金成→一関市花泉→一関市川崎→一関市千厩→気仙沼だ。
高速は所々段差(補修はしてあるが・・)や波打つところがあり、県道では亀裂発生等のため片側交互通行の個所が数か所あった。

一関市川崎で国道284号線と合流するが、交差点(信号なし:国道と県道の交差点ですが信号がありません!)で国道に入ろうと(再度:国道の交通量が多いにもかかわらず信号がないため数分間入れません)見ていると、他県ナンバーのパトカーや支援救援関係と思われる自動車が、多数一関方面から気仙沼に向かっていた。
それもあってか、この先の千厩では渋滞した。

「道の駅かわさき」の向かいの花屋さんからお墓に手向ける花を求める。

昼前気仙沼着。妻の友人宅へ→被害は戸棚からこけしが落ちただけだという、互いの無事を確認。私と妻が気仙沼在住時に大変お世話になった(だいぶご無沙汰をしています)Fさん宅へ→Fさんはボランティア活動中で不在、奥様在宅、(自宅は気仙沼を縦断する大川添いにある)もう少しで津波が押し寄せるところだったそうだ。無事を確認。

義母たちの避難場所へ。施設の駐車場だったところではボランティアの方々がカレーの炊き出しをやっていた。避難者は当初と比べると半分くらいになったとのこと。
義母と義姉たちは毛布などを敷き2階のロビーの一角(2m強×2m弱)で食事中だった。
義母は津波に巻き込まれた。その地域の中では高台にある近所の家(?)に突っ込んだ車中に一人で一夜閉じ込められ、地域の方々に救出されたのだ。その時は傷だらけだったというが、まだ両腕に傷が残っていた。

雷を伴う雨が降ってきた。津波で流された家跡に向かう。土台だけが残る。言葉がない。
義兄とおかあさんがここで津波に襲われ行方不明である。
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帰りの道すがら、ある地区では家並はすべて消え瓦礫の山となっており大津波被害の惨状の一端を重ねて思い知らされた。
妻のもう一人の友人と会い無事を確認。実家は流されたとのこと。

4月末からの連休には、鹿児島から義兄、京都から2番目の義姉が駆けつけ、それに妻も加わって久方ぶりの再開、親子水入らずの時間が味わえる予定だ。義母達も少しは癒されるに違いない。

被災地に一日も早く多くの笑いが戻りますようにと祈ります。
我が家の日本タンポポ:数日前開花に気付いていました、冬の間ロゼッタでできる限り冬の太陽を受け、根をしっかりと地中に伸ばしていたんだね!輝いているね!
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これを聴きながら書いています
http://www.youtube.com/watch?v=wXTcV0F4Dm0

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